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日本の職場に足りない「予防」の視点 フランス・オーストラリアのメンタルヘルス対策に学ぶ

職場のメンタルヘルス対策と聞くと、多くの方が「ストレスチェック」や「不調になった従業員への対応」を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、問題が起きてから対応する「対症療法」だけでは、従業員一人ひとりが安心して働き続けられる環境を築くことは困難です。本当に重要なのは、そもそもメンタルヘルス不調が起きにくい職場環境を主体的に作る「予防」という視点です。

日本の現在の対策は、不調を早期に発見する「二次予防」に重点が置かれがちです。一方で、世界の先進的な取り組みに目を向けると、フランスでは企業の責任として職場環境のリスク評価と改善を法律で義務化し、オーストラリアでは身体の応急手当と同じように「心の応急手当」を学ぶ文化が根付いています。これらは、問題の発生を未然に防ぐ「一次予防」を重視するアプローチです。

この記事では、日本のメンタルヘルス対策の現状と課題を整理し、フランスとオーストラリアの先進事例から、日本企業が今すぐに取り組める「予防」的なアプローチを具体的に解説します。さらに、障害者雇用が、多様な人材が活躍できるインクルーシブな環境、ひいては全従業員のメンタルヘルスを守る「予防」的な職場づくりにどう繋がるのか、そのヒントもご紹介します。

日本の現状とストレスチェック制度の限界

不調者の早期発見(二次予防)が中心の日本

日本では、2015年から常時50人以上の労働者を使用する事業場において、ストレスチェック制度が義務化されました。この制度は、労働者自身のストレスへの気づきを促し、職場環境の改善につなげることを目的としています。制度の導入により、従業員のメンタルヘルス状態を定期的に把握する仕組みが整い、高ストレス者への面接指導などを通じて不調の早期発見・早期対応、すなわち「二次予防」に繋がるという大きなメリットがあります。

実際に、厚生労働省のポータルサイト「こころの耳」でも、セルフケアや不調への気づきに関する情報が充実しており、個人が自身の状態を把握するためのサポートが重視されています。これは非常に重要な取り組みですが、一方で対策の中心が「問題が起きてからの対応」に偏りやすいという側面も指摘されています。経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本は精神科病床数が他国に比べて突出して多いなど、メンタルヘルスケアが「治療」に偏重している傾向が示されています。このことは、職場においても、不調が起きる前の「予防」への投資や取り組みが、まだ十分ではない可能性を示唆しています。

職場環境の改善(一次予防)まで繋がりにくい課題

ストレスチェック制度のもう一つの重要な目的は、検査結果を集団分析し、職場全体のストレス要因を特定して環境改善に取り組む「一次予防」に活かすことです。しかし、多くの企業でこの集団分析が十分に活用されておらず、一次予防が形骸化しやすいという課題を抱えています。

その背景にはいくつかの要因があります。第一に、個人の結果通知や医師による面接指導は義務である一方、集団分析とそれに基づく職場環境改善は「努力義務」に留まっている点です。そのため、具体的なアクションに繋がらないケースも少なくありません。厚生労働省の令和4年「労働安全衛生調査」によると、ストレスチェックの結果を活用して職場環境改善に取り組んだ事業所の割合は58.8%に留まっています。

第二に、分析結果から「仕事の量的負担」や「上司・同僚とのコミュニケーション」に課題があると分かっても、具体的な改善策がわからないという問題です。根本的な解決には、業務プロセスの見直しや組織風土の改革など、より専門的で踏み込んだ取り組みが必要となり、多くの企業がその一歩を踏み出せずにいます。結果として、職場環境という構造的な問題へのアプローチがなされず、研修などを通じて従業員個人のストレス対処能力(レジリエンス)を高める方向に終始してしまうこともあります。もちろん個人の努力も大切ですが、ストレスの原因そのものが放置されては、根本的な解決にはなりません。

世界の先進事例1:フランスの「心理的社会的リスクの予防義務」

メンタル不調を「個人の問題」でなく「組織のリスク」と捉える

メンタルヘルス対策の「予防」を考える上で非常に参考になるのが、フランスの取り組みです。フランスでは、メンタル不調を個人の資質の問題として片付けず、組織が向き合うべき経営課題として明確に位置づけています。その根幹にあるのが、「心理的社会的リスク(RPS: Risques Psychosociaux)」という考え方です。

心理的社会的リスク(RPS)とは
仕事のストレス、職場での暴力、ハラスメントなど、仕事の内容、組織、労働環境に起因し、従業員の精神的・身体的健康や安全を脅かすリスクのことです。個人の性格や気質ではなく、職場の構造的な問題として捉える点が大きな特徴です。

この考え方の根底には、従業員のメンタル不調は本人の弱さが原因なのではなく、過度な業務量や裁量権の欠如、不適切なマネジメント、コミュニケーション不足といった「職場環境」に原因があるという思想があります。したがって、そのリスクを管理し、予防・除去する責任は企業にある、と労働法典で明確に定義しているのです。

企業の責任として職場環境の評価・改善を法律で義務化

フランスの企業は、RPSを防止するため、具体的なアクションを法律で義務付けられています。これは日本のストレスチェック制度における職場環境改善が「努力義務」である点とは大きく異なります。具体的には、企業は「職業リスク評価単一文書」を作成し、自社にどのようなRPSが存在するかを特定・評価し、明記しなければなりません。

RPSの評価項目は多岐にわたります。例えば、「仕事の量的負担は過大ではないか」「業務内容に見合った裁量権が与えられているか」「上司や同僚からのサポートは十分か」「職場の人間関係にコンフリクトはないか」「評価や処遇は公正か」といった視点から、自社の職場環境を客観的に評価します。そして、その評価結果に基づいてリスクを低減するための年間計画を策定し、実行していくことが求められます。このプロセスには従業員代表を関与させることも義務付けられており、企業と従業員が一体となって職場環境の改善に取り組む仕組みが構築されています。

世界の先進事例2:オーストラリアの「メンタルヘルス応急手当」

身体の応急手当と同様に心の応急手当を学ぶ文化

もう一つ、ユニークな「予防」的アプローチとして注目されるのが、オーストラリアで開発された「メンタルヘルス・ファーストエイド(MHFA)」です。これは、特別な専門家でなくても、誰もが心の不調を抱える人を支える知識とスキルを身につけることを目的とした画期的なプログラムです。

メンタルヘルス・ファーストエイド(MHFA)とは
うつ病、不安障害、自殺のリスクなど、メンタルヘルスの問題を抱える人に対し、専門家による治療が始まるまでの間、適切な支援を提供するための知識とスキルを学ぶ研修プログラムです。カウンセラーを養成するものではなく、あくまで初期支援の「橋渡し役」を育成することを目的としています。

私たちは、誰かが目の前で倒れたり怪我をしたりした時に、救急車が来るまで何ができるか(AEDの使い方や止血の方法など)を学ぶ機会があります。MHFAは、その「心の健康版」と考えると非常に分かりやすいでしょう。オーストラリアでは、このMHFAが職場や地域社会に広く普及しており、「心の不調は誰にでも起こりうること」「困ったときはお互いに助け合うのが当たり前」という文化の醸成に貢献しています。これは、メンタルヘルスの問題をタブー視せず、オープンに語り合える職場環境づくり、すなわち「一次予防」に直結する取り組みと言えます。

従業員同士が支え合う職場風土の醸成

MHFAの研修では、具体的な支援方法を「ALGEE(アルジー)」という覚えやすいステップで学びます。

Assess for risk of suicide or harm
自殺や自傷のリスクを評価する
Listen non-judgmentally
批判的・評価的にならずに聴く
Give reassurance and information
安心を与え、情報を提供する
Encourage appropriate professional help
適切な専門家の助けを勧める
Encourage self-help and other support strategies
セルフケアやその他の支援を勧める

この研修を受けた従業員は、同僚の「いつもと違う様子」に気づきやすくなります。そして、単に励ますだけでなく、どう声をかけ、どう話を聞き、どこに繋げばよいかという具体的なスキルを持っているため、安心して行動に移すことができます。このような「ゲートキーパー(門番)」役の従業員が職場に増えることで、孤立する従業員が減り、早期に相談できる環境が生まれます。また、メンタルヘルスに関する正しい知識が広まることで偏見や誤解が減少し、管理職だけでなく従業員一人ひとりが職場環境づくりの担い手であるという意識が高まる効果も期待できます。

日本企業が今から取り組める「予防」的アプローチ

「4つのケア」を意識した多角的な対策

フランスやオーストラリアの事例を参考に、日本企業が「予防」を強化するためには、多角的なアプローチが不可欠です。厚生労働省は、職場のメンタルヘルス対策として「4つのケア」を推進しています。これらをバランス良く実施することが、効果的な予防に繋がります。

  1. セルフケア:従業員自身がストレスに気づき、対処する。
  2. ラインによるケア:管理職が部下の変化に気づき、相談対応や職場環境の改善を行う。
  3. 事業場内産業保健スタッフ等によるケア:産業医や保健師、人事労務部門などが中心となり、具体的な対策を企画・実施する。
  4. 事業場外資源によるケア:専門的な医療機関やEAP(従業員支援プログラム)サービスを活用する。

これらのケアの中でも、特に「一次予防」の要となるのが、管理職による「ラインケア」です。部下の日常的な変化に気づき、相談に応じ、必要に応じて専門部署に繋ぐ役割は、予防の第一線と言えます。フランスの「リスク評価」のように、管理職が自らのチームの「心理的社会的リスク」は何かを考える機会を設け、傾聴スキルや適切なマネジメント手法を学ぶ研修を行うことは非常に有効です。

心理的安全性を土台としたインクルーシブな職場環境

究極の「一次予防」は、従業員一人ひとりが「自分はここにいても良いんだ」と感じられる、心理的安全性の高い職場を作ることです。心理的安全性とは、チームの中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態を指します。Google社内の調査でも、心理的安全性が高いチームは生産性も高いことが示されています。

この心理的安全性を高めるためには、「インクルーシブ(包括的)」な視点が欠かせません。性別、年齢、国籍、そして障害の有無など、多様な背景を持つ人々が、それぞれの違いを認め合い、能力を発揮できる環境づくりです。例えば、誰もが意見を言いやすい会議の進め方を工夫したり、コミュニケーションのルールを明確にしたりすることは、人間関係のストレスを減らし、風通しの良い職場風土を育みます。これは、全従業員のメンタルヘルスを守るための土台となります。

障害者雇用がもたらす「予防的」職場環境への気づき

「予防」的な職場づくりと「障害者雇用」は、実は密接に繋がっています。障害のある社員が安心して能力を発揮できるように職場環境を整えるプロセスは、結果として全従業員にとっての働きやすさ(一次予防)に繋がることが多いからです。

例えば、以下のようなケースが考えられます。

  • 聴覚障害のある社員のために:会議の内容をリアルタイムで文字化したり、議事録を必ず共有する仕組みを導入する。→結果的に、誰もが後から内容を確認でき、認識のズレや「言った・言わない」のトラブルが減る。
  • 発達障害のある社員のために:「あれ、やっといて」のような曖昧な指示をなくし、タスクを具体的かつ明確に文章で指示する文化を徹底する。→結果的に、全員の業務効率が上がり、指示の誤解による手戻りやストレスが減る。
  • 精神障害のある社員のために:安心して休憩できる静かなスペースを用意したり、個々の事情に応じた柔軟な勤務時間を認める。→結果的に、誰もが集中したい時やリフレッシュしたい時に利用でき、ワークライフバランスが向上する。

障害者雇用をきっかけに、これまで「当たり前」とされてきた働き方やコミュニケーションを見直すことは、職場に潜む様々な「心理的社会的リスク」を可視化し、改善する絶好の機会となります。

「予防」的な職場づくりはオリーブとの連携から

障害のある方の雇用が多様な働き方を考えるきっかけに

ここまで解説してきたように、メンタルヘルス対策における「予防」は、これからの企業経営においてますます重要になります。そして、その有効な実践のきっかけとなるのが、障害者雇用です。「障害のある方を雇用する」ことを具体的に検討し始めると、企業は業務の進め方、コミュニケーションのあり方、物理的な環境、そして従業員の意識など、これまで意識してこなかった様々な課題と向き合うことになります。

この課題解決のプロセスこそが、貴社の職場環境に潜む「見えないバリア」を可視化し、誰もが働きやすい環境へと改善していく大きな一歩となります。それはまさに、フランスが目指す「リスク評価と予防計画の実践」に他なりません。

企業のD&I推進を、専門知識でサポートします

私たち就労継続支援B型事業所オリーブは、関西(大阪、兵庫、京都、奈良)を中心に、障害のある方々の「働きたい」という想いをサポートしています。長年の支援経験を通じて培ったノウハウを活かし、障害のある方を雇用したい、あるいはD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)を推進したいと考える企業様のパートナーとなることができます。

「どのような業務を切り出せば良いか分からない」「どのような配慮が必要か、専門的なアドバイスが欲しい」「採用しても、定着せずにすぐに辞めてしまうのではないかと不安」といった、企業様が抱える具体的な課題に対し、私たちは専門的な知見からサポートを提供します。企業様と障害のある方の双方にとって最良のマッチングを実現し、貴社の「予防」的な職場づくりに貢献します。

法人様からのご相談をお待ちしております

障害者雇用を通じた「予防」的な職場づくりを、オリーブと一緒に始めてみませんか。「何から始めたらいいかわからない」「まずは話だけでも聞いてみたい」といった初期段階のご相談も歓迎いたします。経験豊富な相談員が、貴社の状況や課題に合わせた最適なご提案をさせていただきますので、まずはお気軽にお問い合わせください。

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